Pesäpallo History

Lauri

Lauri "Tahko" Pihkala

1907年 Lauri “Tahko” Pihkala はアメリカを訪れ野球を見学した。その際、アメリカのスポーツリーダー達が野球をすることによって育んだ投てき力や走力がアメリカのオリンピックでの躍進に寄与しているとの説明を聞いて、彼はフィンランドの選手がオリンピックでの栄光を手に入れるための手助けになるスポーツを発展させようと決心した。

Base Ballをそのままフィンランド語にしたPesaPalloは1922年に最初の試合が行われた。

野球とフィンランドの古い球技の特徴を融合した新しいゲームは、Tahkoが期待していたとおり国技と呼ばれるまでに発展し、1997年には75周年を迎え、今日のフィンランドで最も人気のあるスポーツに発展した。
1992年に第1回のワールドカップがヘルシンキで行われ、1997年には第2回がヒヴィンカーで行われた。第3回は1999年にフィンランド以外では始めてオーストラリアのメルボルンで開かれた。

参加国はフィンランドをはじめ日本、スウェーデン、エストニア、ドイツなどで、未だに地元フィンランドと他国との力の差は歴然としているが徐々に各国が力をつけてきている。

日本チームは1992年と1997年の大会に参加したが2000年のオーストラリア大会にはオフシーズンのため参加していない。しかし、日本チームの参加はフィンランドでは大変歓迎され、Pesapalloの国際化に希望をもたらすと考えられ、コーチや学生の派遣も数多く行われている。