フィンランド・北海道間の国際交流
フィンランドと北海道との交流は、フィンランドの国教ル-テル福音派の宣教師の派遣を通じて戦前からあり、戦後も冬のスポーツを通じて行われてきました。しかしそれが本格化したのは1970年代初頭、当時の堂垣内北海道知事が提唱していた「北方圏交流」によって、フィンランドを含めた北方圏への関心が一挙に高まってからといえます。また1972年の札幌冬季オリンピックを契機に,フィンランド人にとっても「サッポロ」と「ホッカイドウ」がより身近なものとなりました。
北海道フィンランド協会が発足した1976年以降、協会はフィンランドと北海道の橋渡し、あるいは窓口として多くの活動を行ってきました。フィンランド人のホームステイ受け入れや当地でのさまざまなケア、福祉・博物館・音楽など多方面にわたる視察団の派遣等が例として挙げられます。
道内の市町村や民間団体とフィンランドとの交流は、北方圏交流の中でも最も盛んなもので、主な交流例を挙げると以下のようなものがあります。
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自治体交流
- 壮瞥町=ケミヤルビ市(ラップランド県)
青少年交流を主軸として93年友好都市締結 - 奈井江町=ハウスヤルビ町(オウル県)
福祉交流を中心に94年友好都市締結 - 端野町=オウルンサロ町(オウル県)
92年友好協会を結成、以来活発な相互交流
- 壮瞥町=ケミヤルビ市(ラップランド県)
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自治体が関わる民間交流
- 名寄市=ロバニエミ市(ラップランド県都)
90年代から国際雪像コンクールへの選手相互派遣 - 大滝村
91年以来、スキーマラソン大会を通じて多くのフィンランド自治体と交流 - 津別町
96年以来、北部フィンランドを中心に毎年視察研修団を派遣
- 名寄市=ロバニエミ市(ラップランド県都)
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学術・研究交流
- アイヌ民族博物館=サーミ博物館(イナリ郡、ラップランド県)
84年以来姉妹博物館 - 北海道東海大学(旭川・札幌)=ラップランド大学(ロバニエミ)
97年以来学生の相互留学および、教育スタッフの交流 - 道都大学(北広島)=ラップランド大学
97年相互交流を締結 - 札幌医科大学(札幌)
1977年からヘルシンキ大学医学部との北方医学の交流が始まり、以来、フィンランドの他の大学医学部とも順次交流が行われている - 北海道教育大学
90年代から、シベリウスアカデミーとの間で学生の相互留学 - 北海道大学
2004年よりオウル大学との学術交流が活発化
- アイヌ民族博物館=サーミ博物館(イナリ郡、ラップランド県)
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民間交流
- 北海道フィンランド協会=フィンランド日本協会(ヘルシンキ)
76年当協会が発足以来相互交流 - 北海道フィンランド協会=ラップランド日本協会(ロバニエミ)
86年日本協会が発足以来相互交流 - 札幌西北ロータリークラブ=ヘルシンキ西北ロータリークラブ
97年友好クラブ宣言に調印 - 札幌青年会議所とヘルシンキ青年会議所
1970年代から友好交流
- 北海道フィンランド協会=フィンランド日本協会(ヘルシンキ)
いずれも、多かれ少なかれ北海道フィンランド協会、各支部、あるいは個人会員が、交流を後押ししていることは特筆すべき事柄かと思います。
新しい地域交流の芽生えとして、北海道経済連合会などが取り組んでいる「産業クラスター」を軸とした北部フィンランドとの交流が挙げられます。産官学一体となって資源活用等に取り組む「産業クラスター」の先進地であるオウル地域に学べと、北見市、釧路市なども積極的な学習交流を始めています。
1995年に在札幌フィンランド国名誉領事に就任した横山清氏(ラルズ社長)は、翌96年「フィンランド・インフォーメーション・センター」を札幌中心部(南2西2ラルズプラザ札幌店)に開設、フィンランドの一般的な紹介に留まらず、産業、製品、貿易等の紹介にもあたっています。
このようなさまざまな交流が、フィンランドをもっと身近なものに感じさせるエネルギー(新千歳-ヘルシンキ直行便運行の機運の高まりなど)に結びついてくれることが大いに期待されます。
本稿を書くに当たって、井口光雄「フィンランド、その高福祉を支える素顔」(北海道女子大学 北方圏生活福祉研究所年報 Vol.3 1997)を参考にしました。