WORLD CUP 1992 at HELSINKI
第一回ワールドカップヘルシンキで開催され日本チーム大健闘
第1回ペサパッロ・ワールドカップはフィンランド独立75周年記念に開催された。日本代表チームは監督コーチを含めて総勢18名。5名の若手はヤングセミナー出席のため先にフィンランド南西部のロイマーへ、本隊とはヘルシンキで合流、開会式に出席し健闘を誓い合った。

試合は男子と男女MIXのトーナメントに別れ、ヘルシンキ市内の数カ所のペサパッロ球場で行われた。出場国はフィンランドの他近隣のスウェーデン、ドイツ、エストニアとフィンランドからの移民の子孫で構成したオーストラリアチーム、そして日本が遠来のチームだった。
試合結果はフィンランドが圧倒的に強く優勝。日本はドイツとの5・6位決定戦に勝って、5位に入った。
新聞にも大きく取り上げられた、第一回ワールドカップ
北海道新聞の塚田記者が同行し、大会前のヤングセミナーから本大会の終了まで現地発のニュースとして報じられていた。
今日のスターはファースト日置と大谷だ、よさこいの衣装に例のヘルメットその上には日の丸のハチマキ、次の日の新聞にデカデカと登場してしまった。前回は阿部が強打者として紙面を飾ったが今回は彼等が日本文化の奥の深さを知らせてくれた。
男子エストニア戦<0-2>大介、ピッチャー技術の高さを新聞で紹介され子供ファンが増大。女子MIXフィンランド戦<1-1>女子選手三木・生石・筒渕の出番だ。三木はサード、生石はピッチャー、筒渕はショートでそれぞれ守備と肩の良さを印象づけた、特に生石は大男に激突されぶっ飛んだがプレーを続け喝采を浴びた、加わってくれた地元の女子選手との交流も深められ良いゲームだった。
























