北海道フィンランド協会

北海道フィンランド協会

HOKKAIDON SUOMI-SEURA

フィンランド野球「ペサパッロ」を楽しみませんか???

「ペサパッロ」をやってみたい仲間を募集中

ペサパッロ02「ペサパッロ」は野球と似たスポーツです。
(野球をグランドなどフィンランドの状況に合わせてマイナーチェンジしたのです)
フィンランドでは男女のプロチームもあり国民的なスポーツです。


1992年と1997年には、ワールドカップが開かれ、我が北海道フィンランド協会のチームが参加し、大健闘(?)しました。

楽しむスポーツとして、男女が一緒に年齢も関係なく楽しめるスポーツです。

ペサパッロ03ボールを投げ、打って走るのは、野球やソフトボールと同じです。
が、ピッチャーがいなかったり、反対方向に走ったり、アウトがちょっと違ったり・・・
少しルールが違うことで、考えたり、戸惑ったり、笑いっぱなし!・・・これがまた楽しいのです!

ワールドカップに出場したメンバーが、基本から指導します。

道具は十分そろえてあります。お気軽にご参加ください。

ルールガイドもアップしました → 「ペサッパロ ルールガイド

 

日時 場所

  • 7月17日 (日)10:00~12:00
  • 豊平川河川敷 南22条Cグランド
  • 7月30日(土)13:00~15:00
  • 豊平川河川敷 南22条Bグランド

お問い合わせは
北海道フィンランド協会 理事 川上 まで

Pesäpallo History

Lauri

Lauri "Tahko" Pihkala

1907年 Lauri “Tahko” Pihkala はアメリカを訪れ野球を見学した。その際、アメリカのスポーツリーダー達が野球をすることによって育んだ投てき力や走力がアメリカのオリンピックでの躍進に寄与しているとの説明を聞いて、彼はフィンランドの選手がオリンピックでの栄光を手に入れるための手助けになるスポーツを発展させようと決心した。

Base Ballをそのままフィンランド語にしたPesaPalloは1922年に最初の試合が行われた。

野球とフィンランドの古い球技の特徴を融合した新しいゲームは、Tahkoが期待していたとおり国技と呼ばれるまでに発展し、1997年には75周年を迎え、今日のフィンランドで最も人気のあるスポーツに発展した。
1992年に第1回のワールドカップがヘルシンキで行われ、1997年には第2回がヒヴィンカーで行われた。第3回は1999年にフィンランド以外では始めてオーストラリアのメルボルンで開かれた。

参加国はフィンランドをはじめ日本、スウェーデン、エストニア、ドイツなどで、未だに地元フィンランドと他国との力の差は歴然としているが徐々に各国が力をつけてきている。

日本チームは1992年と1997年の大会に参加したが2000年のオーストラリア大会にはオフシーズンのため参加していない。しかし、日本チームの参加はフィンランドでは大変歓迎され、Pesapalloの国際化に希望をもたらすと考えられ、コーチや学生の派遣も数多く行われている。

WORLD CUP 1992 at HELSINKI

第一回ワールドカップヘルシンキで開催され日本チーム大健闘

第1回ペサパッロ・ワールドカップはフィンランド独立75周年記念に開催された。日本代表チームは監督コーチを含めて総勢18名。5名の若手はヤングセミナー出席のため先にフィンランド南西部のロイマーへ、本隊とはヘルシンキで合流、開会式に出席し健闘を誓い合った。

world cup 1992 - 02
試合は男子と男女MIXのトーナメントに別れ、ヘルシンキ市内の数カ所のペサパッロ球場で行われた。出場国はフィンランドの他近隣のスウェーデン、ドイツ、エストニアとフィンランドからの移民の子孫で構成したオーストラリアチーム、そして日本が遠来のチームだった。

world cup 1992 - 03試合結果はフィンランドが圧倒的に強く優勝。日本はドイツとの5・6位決定戦に勝って、5位に入った。


新聞にも大きく取り上げられた、第一回ワールドカップ

world cup 1992 - 04北海道新聞の塚田記者が同行し、大会前のヤングセミナーから本大会の終了まで現地発のニュースとして報じられていた。


world cup 1992 - 05

WORLD CUP 1997 at HYVINKAA

第2回ワールドカップはペサパッロ発祥の地ヒヴィンカーで開催された

【8月8日】
練習試合1日目 SISMAのチーム。トップバッターのヤマト・大谷は早々とダイビングヘッドをマスター。ファースト日置とキャッチャー奥山が強打の洗礼を受ける、奥山の左手の指は骨折だったがそれを知らず最後の試合までプレーを続けた。日置は一瞬打球が頭に当たったかと思われたが持ち前の反射神経でかわして無事だった。
【8月9日】
練習試合2日目 VAAKSYのチーム。我がチームの女子選手が頑張る。
【8月10日】
ヒヴィンカーへ移動、いよいよワールドカップだ。ペサパッロの町と言われるこの町は一週間後に行われるオールスター東西対抗の準備が進んでいる。そして、開会式は始まった。
world cup 1997 - 01今日のスターはファースト日置と大谷だ、よさこいの衣装に例のヘルメットその上には日の丸のハチマキ、次の日の新聞にデカデカと登場してしまった。前回は阿部が強打者として紙面を飾ったが今回は彼等が日本文化の奥の深さを知らせてくれた。
【8月11日】
男子オーストラリア戦<0-2>レフト深瀬打撃に開眼。本場なみの豪打で以降打ち続ける。男子ドイツ戦<0-2>白老の中村、ヨケリとしての存在を強烈にアピール、ファンを増やす。
【8月12日】
world cup 1997 - 02男子エストニア戦<0-2>大介、ピッチャー技術の高さを新聞で紹介され子供ファンが増大。女子MIXフィンランド戦<1-1>女子選手三木・生石・筒渕の出番だ。三木はサード、生石はピッチャー、筒渕はショートでそれぞれ守備と肩の良さを印象づけた、特に生石は大男に激突されぶっ飛んだがプレーを続け喝采を浴びた、加わってくれた地元の女子選手との交流も深められ良いゲームだった。

第2回ワールドカップ、我々は勝つことの難しさを思い知らされた

【8月13日】
LAHTIでワールドゲームスの大観衆の前で男子フィンランド戦<0-2>。高原大使と大使館の人が観戦、渋田がラグビー式のダイビングで大活躍。
【8月14日】
女子MIX第2戦<1-1>フィンチームの日本通青年パーボが日本チームに加わり楽しいゲームになった。男子スウェーデン戦<0-2>日本チームファンの子供達が急増。肩痛で一日だけ試合を休んだショート正木がサイン攻めに大わらわ。
【8月15日】
男子順位決定戦ドイツ<0-2>一時はリードの局面があったが惜敗、これで試合は全部終わったが、ついに念願の一勝をあげる事は出来なかった。長くきびしかったワールドカップへの挑戦は終わった、傷だらけになりながら、慣れない食事を無理やり口に押し込んで戦った…。ミッコ井口の情熱とリーダー市川の努力でよくここまで来たと思う。名寄、旭川、千歳、白老、小樽、そして札幌。北海道の各地から心を一つにして集まった「日本チーム」の挑戦だった。

world cup 1997 - 03

Japan Pesapallo team World CUP ’97

Mitsuo IGUCHI

Mitsuo(Mikko)IGUCHI
DIRECTOR/HEAD COACH
THE GREAT FATHER OF JAPAN PESAPALLO

井口 光雄
日本のペサパッロの父。1984年かねてより極めて友好の深いフィンランドより国技のペサパッロを日本に紹介。東京でフィンランドクラブ員などとゲームにトライする。翌年知人・友人を集め札幌チームを作り、集めた資料やビデオなどでいろいろルールを研究しながらプレーを楽しむ。全日本チームを2度のワールドカップに出場させた牽引車であり、有能なプロデューサーである。

Yoshio HASEGAWA

Yoshio HASEGAWA
VICE DIRECTOR/COACH

長谷川 良雄
名寄にて国際交流を積極的に展開。ペサパッロ名寄チーム監督。ペサパッロのみならず、国際雪像コンクールにも毎年参加。日本雪像コンクール本部も運営。2001年には遂に名寄にて国際雪像大会を開催する。

2nd base
Kazuki Ichikawa
市川 一樹

Catcher
Ken-ichi Okuyama
奥山 健一

Left.SS
Masahiro Kawakami
川上 正博

1st base
Yoshiki Abe
阿部 芳樹

Left SS
Takayuki Hukase
深瀬 隆幸

Pitcher
Daisuke Natsuzawa
松澤 大介

1sd base
Akiyo Abe
阿部 晶代

Pitcher
Kazuko Oishi
生石 和子

Right SS
Keiko Tutubuti
筒淵 恵子

Super Joker
Hiroshi Nakamura
中村 宏

Leftfilder
Hiroshi Hioki
日置 宏

Rightfilder
Tomohiko Ohtani
大谷 友彦

Left.SS
Hidenori Sibuta
渋田 英則

Right SS
Eiji Masaki
正木 英治

Right SS
Tatsuya Naki
名木 達哉

フィンランド独立記念日 記念講演会と会員交流パーティーのご案内

2010年12月11日  土曜日

会員の皆さんへ

今年も、フィンランド独立記念日 12月6日 が近づいてきました。年に一度、会員の皆さんが一堂に会してパーティーを楽しむ会を、在札幌名誉領事館と共催で、今年は12月11日(土曜日)に開きます。

ヨハンナ・コトゥカヤルヴィ 公使参事官

ヨハンナ・コトゥカヤルヴィ 公使参事官

メイン・ゲストは、この夏、着任されたヨハンナ・コトゥカヤルヴィ(Johanna Kotkajärvi)公使参事官さんです。第1部はヨハンナさんのお話、

”強大なロシアと西側の狭間にある人口500万余の小国フィンランドが、これからもしっかりと生きていくためには”

公使参事官の「フィンランドの安全保障」について聞きましょう。
第2部は北海道で勉学するフィンランドの留学生たちを交えて、カンテレを聴いたり、お楽しみ抽選会、フィンランド・グッズのオークションもある楽しい会員交流会です。 どうぞ、ご家族、ご友人お誘いあわせてご出席下さいますようご案内致します。

  • 日時: 12月11日(土曜日)受付14時30分から
  • 会場:札幌市中央区北5条西7丁目 京王プラザホテル札幌
  • 会費:大人 5,000円、大学生 2,000円、高校生 1,000円、中学生以下は無料
  • 15時00分~16時45分 記念講演「フィンランドの安全保障」講師 ヨハンナ・コトゥカヤルヴィ公使参事官
    • 講師略歴
      ヘルシンキ大学で政治学(修士)を学ぶ。外務省入省後、ノルウェーやクロアチア、ルクセンブルグの大使館などに勤務、東京に赴任前、ヘルシンキの本省にて欧州安全保障関連を担当。
      東京では、夫と二人のお子さんと一緒に暮らしております。
  • 17時00分~19時00分 独立記念日を祝うパーティー
    • ゲストは、ヨハンナさんや北海道で学ぶフィンランドの留学生の皆さん。お祝いのご挨拶は、横山 清 在札幌フィンランド国名誉領事です。
恒例のカンテレによる国歌演奏

恒例のカンテレによる国歌演奏

クリスマスももうすぐです。いっぱい食べて、お酒を飲んで、今年の思い出、来年の希望、大いにおしゃべりしましょう。

カンテレ同好会の皆さんがフィンランド・サウンドを演奏します。
横山名誉領事が率いるアークスさんや、武井名誉会長の北洋銀行、そして協会役員の皆さんが寄贈して下さった商品のお楽しみ抽選会、最後は、フィンランド・グッズなどのオークション、楽しさ一杯です!

北海道フィンランド協会
会長  井口 光雄