「ペサパッロ」ってどんなスポーツ?
というわけで、ペサパッロの「ルールガイド」をContentsに追加しました。
「フィンランド式の野球?」「グランドが長方形?」「ワールドカップもあるの?」「しかも日本チームがペサパッロワールドカップに出たことがある!?」
・・・ほら、ほら、だんだん興味が湧いてきたでしょう?
そんな方はこちらへ → ペサパッロ「ルールガイド」
ぜひやってみたいという方は、こちらのお知らせをご覧ください。
→ 「フィンランド野球「ペサパッロ」を楽しみませんか???」
というわけで、ペサパッロの「ルールガイド」をContentsに追加しました。
「フィンランド式の野球?」「グランドが長方形?」「ワールドカップもあるの?」「しかも日本チームがペサパッロワールドカップに出たことがある!?」
・・・ほら、ほら、だんだん興味が湧いてきたでしょう?
そんな方はこちらへ → ペサパッロ「ルールガイド」
ぜひやってみたいという方は、こちらのお知らせをご覧ください。
→ 「フィンランド野球「ペサパッロ」を楽しみませんか???」
ペサパッロは野球から派生したスポーツなので基本的にルールは野球と似ています。しかし、フィンランドスタイルに変更されたところが多く、野球を知っている我々には混乱しやすいルールがたくさんあります。おも立ったルールを列記しますので、読んで想像してみて下さい。混乱しますよ。しかし、これもペサパッロの楽しいところです。
このフィールドサイズは青年男子用。他に女子、少年、子供用のサイズがあり約一回りずつ小さくなる。
フィンランドには野球場がなかったためサッカー場のグランドを利用し、扇形ではなく、長方形を基本として作られている。
扇形でないぶん野球よりフェアゾーンがかなり狭いので、バッターには強打・遠くへ飛ばすことよりも、打球をコントロールすることが求められる。
思いっきりイイ当たりをしても、一番奥のエンドラインを飛び越えてしまうとファールになる。(ホームランではない)これは日本人にはガッカリのルールだ!
ホームベースと1、2、3塁、数は野球と同じだが1塁が左にある。
ランナーは順次2、3塁と回りホームに帰ってくると得点になる。1塁は近いため出塁しやすいが2、3、ホームとだんだん遠くなるので得点するのは以外と難しい。このためバント、ヒットエンドランが多用される。
バッターにはバットコントロール、ランナーには俊足と果敢なスライディングが要求される。
各ベースはベース盤ではなくスペースを示す白線内となっているので片足が白線又はその中にあればセーフティである。
塁上ではフォースプレーでありタッチアウトは塁間の走者にだけ有効(塁上でのフォースプレーは同時あるいは同時に近いものはほとんどセーフとなり、攻撃側有利のルールとなっている)
ホームプレートはストライク、ボールの判定のみのためで、ランナーは3塁から白線の外側を通ってhome base areaと示したあたりに飛び込んでくる。
ペサパッロの最大の特徴はピッチャーがバッターの横にいてバッターが打つためのボールをトスしてあげることです。トスはボールをピッチャーの身長より1メートル以上高くあげ、ホームプレート上に落ちればストライク、はずれればボール。
ボールには、フォアボールに相当するバッターやランナーの進塁が罰として与えられる。
バッターはトスされたボールを打つわけだから、打つこと自体は簡単だ、しかし、「1. グランドの大きさ」に記されたように打球のコントロールが一番大切なのだ。
ピッチャーの役割を野球と変えたのは、おそらく特別な技能を持ったピッチャーが簡単には育たないことと、ピッチャーの差により優劣がつくことを避けたのではないだろうか。
野手の人数は野球と同じ9人。
ピッチャー、キャッチャーと1塁手、2塁手、3塁手。ショートが左右に2人、外野も左右に二人だけの計9人で守る。
但し、ピッチャーは上図にあるようにバッターの横にいてバッターの打つボールをトスする。ランナーの牽制、そしてホームベースを守ることもピッチャーの役割だ。
キャッチャーは野球に準じてこう呼んでいるが、実際には一番前の内野手。目の前のバッターが打った打球に素早く反応しなければならず大変重要で、そして危険な守備位置。
守備体制は局面により大きく変えます。1塁手はほとんどの場合ベースよりずーっと前で守り1塁は3塁手がカバーし、ランナーがいなければ2、3塁にはカバーは入らない、2塁にランナーがいれば3塁はレフトショートがカバーする。
外野の2人もランナーやバッターにより守備位置を常に変える。
ピッチャーはホームプレートの右側に立ち(左バッターの場合左に移動する)グローブを上、ボールを下に、肩の高さに一旦止めてから一度の動作でボールを上に上げる。
判定は審判が旗で示す
ペサパッロのバッターには1打席に3回のストライクの権利が与えられる。しかし、野球と違い1打目からフェアなら必ず走塁する必要はなくバッターとして留まり、ランナーを進め3打目まで走塁を選べる権利がある。(左図上〕
3打目は最後のストライクなので必ず走塁しなければならない。(左図下)
もし3打目がファウルになったらその打者はアウトとなり、走塁の権利を失う。
バッターが打った打球が最初に地面に落ちたエリアがフェアかファウルかを決定する。
バッターランナーはまず左の1塁へ走る、2本の白線の間を走り1塁ベースから引かれた白線を通過するのが打球が一塁手に返ってくるのより早ければセーフとなる。
ランナーになれたら各塁のスペースにタッチしていればセーフティで、進塁は野球と同じで次の塁に送球より早く到達すればセーフ。
3塁ランナーはセーフになった後3塁ベースから引かれた白線をスタートラインとして片足をライン内に置き陸上のスタートのように構え、スタートのタイミングを狙う。(但し、ピッチャーがホームベース上にいるのでピッチャーがボールを手に持っているときに3塁の線を離れてしまうと瞬間的にフォースアウトになってしまう)
3塁ランナーが送球より早くホームベースに到達すれば得点となる。
ホームランは独特でバッターランナーがフェアを打ってそのまま3塁まで到達すると1点を獲得できる。さらに3塁走者として残りホームベース帰ってくればもう1点獲得できる。(ホームランを打ったバッターは3塁上で派手に祝福される)
ペサパッロの分かりにくいルールの代表に「ウンデッド」というものがある。
ウンデッドはバッターランナーやランナーがアウトでもセーフでもなく走者の資格を失うルール。
バッターがフライを打ちランナー(バッターランナーも)がベースを離れたらペサパッロでは捕球される前に元のベースに戻れなければ捕球された瞬間にウンデッドになり、更にランナーが向かっているベースにランナーより先にボールが転送されると今度は「アウト」になってしまいます。アウトにならないためには飛び出したら先のベースに全速で走らなければなりません。(それでもウンデッドですが)
このルールは攻撃側も有効に使います。例えば、ヒットエンドランをかけて、もしフライになってランナーがウンデッドになってもアウトカウントは増えないので挑戦してもリスクは少ないのです。
また、足の遅いバッターにチャンスが回ってきたら自らウンデッドを狙うこともあります(見破った守備側は捕球したボールを故意に落球し無理やりランナーにしてしまうことが多い)
正式の試合は最初の4イニングを第1ピリオドと呼び、得点の多いチームに1ポイントを与える。15分のハーフタイムの後、第2ピリオドを行う。
守備についている9人が、1~9番までの打順を組み、その後に3名の打撃専門の「ジョーカー」が攻撃要員となる。ジョーカーは他のバッターの間に起用されバッターと交代するわけではない。1イニングに2名まで起用でき、各イニングに再度起用できる。ジョーカーは他の選手と違う写真の公式ユニフォームを着用する。
チームで一番打撃のよい選手がジョーカーになり、ここぞというチャンスには必ず登場する。
いいとこで派手に活躍するので人気のある選手が多い。
このページは、札幌ペサパッロ協会監修のフィンランド野球「ペサパッロ」公式ホームページが無くなってしまったため、「ペサパッロ」ホームページに掲載されていたルールガイドを引き継いだものです。
「ペサパッロ」は野球と似たスポーツです。
(野球をグランドなどフィンランドの状況に合わせてマイナーチェンジしたのです)
フィンランドでは男女のプロチームもあり国民的なスポーツです。
1992年と1997年には、ワールドカップが開かれ、我が北海道フィンランド協会のチームが参加し、大健闘(?)しました。
楽しむスポーツとして、男女が一緒に年齢も関係なく楽しめるスポーツです。
ボールを投げ、打って走るのは、野球やソフトボールと同じです。
が、ピッチャーがいなかったり、反対方向に走ったり、アウトがちょっと違ったり・・・
少しルールが違うことで、考えたり、戸惑ったり、笑いっぱなし!・・・これがまた楽しいのです!
ワールドカップに出場したメンバーが、基本から指導します。
道具は十分そろえてあります。お気軽にご参加ください。
ルールガイドもアップしました → 「ペサッパロ ルールガイド」
日時 場所
お問い合わせは
北海道フィンランド協会 理事 川上 まで
1907年 Lauri “Tahko” Pihkala はアメリカを訪れ野球を見学した。その際、アメリカのスポーツリーダー達が野球をすることによって育んだ投てき力や走力がアメリカのオリンピックでの躍進に寄与しているとの説明を聞いて、彼はフィンランドの選手がオリンピックでの栄光を手に入れるための手助けになるスポーツを発展させようと決心した。
Base Ballをそのままフィンランド語にしたPesaPalloは1922年に最初の試合が行われた。
野球とフィンランドの古い球技の特徴を融合した新しいゲームは、Tahkoが期待していたとおり国技と呼ばれるまでに発展し、1997年には75周年を迎え、今日のフィンランドで最も人気のあるスポーツに発展した。
1992年に第1回のワールドカップがヘルシンキで行われ、1997年には第2回がヒヴィンカーで行われた。第3回は1999年にフィンランド以外では始めてオーストラリアのメルボルンで開かれた。
参加国はフィンランドをはじめ日本、スウェーデン、エストニア、ドイツなどで、未だに地元フィンランドと他国との力の差は歴然としているが徐々に各国が力をつけてきている。
日本チームは1992年と1997年の大会に参加したが2000年のオーストラリア大会にはオフシーズンのため参加していない。しかし、日本チームの参加はフィンランドでは大変歓迎され、Pesapalloの国際化に希望をもたらすと考えられ、コーチや学生の派遣も数多く行われている。
第1回ペサパッロ・ワールドカップはフィンランド独立75周年記念に開催された。日本代表チームは監督コーチを含めて総勢18名。5名の若手はヤングセミナー出席のため先にフィンランド南西部のロイマーへ、本隊とはヘルシンキで合流、開会式に出席し健闘を誓い合った。
試合は男子と男女MIXのトーナメントに別れ、ヘルシンキ市内の数カ所のペサパッロ球場で行われた。出場国はフィンランドの他近隣のスウェーデン、ドイツ、エストニアとフィンランドからの移民の子孫で構成したオーストラリアチーム、そして日本が遠来のチームだった。
試合結果はフィンランドが圧倒的に強く優勝。日本はドイツとの5・6位決定戦に勝って、5位に入った。
北海道新聞の塚田記者が同行し、大会前のヤングセミナーから本大会の終了まで現地発のニュースとして報じられていた。