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WORLD CUP 1992 at HELSINKI

第一回ワールドカップヘルシンキで開催され日本チーム大健闘

第1回ペサパッロ・ワールドカップはフィンランド独立75周年記念に開催された。日本代表チームは監督コーチを含めて総勢18名。5名の若手はヤングセミナー出席のため先にフィンランド南西部のロイマーへ、本隊とはヘルシンキで合流、開会式に出席し健闘を誓い合った。

world cup 1992 - 02
試合は男子と男女MIXのトーナメントに別れ、ヘルシンキ市内の数カ所のペサパッロ球場で行われた。出場国はフィンランドの他近隣のスウェーデン、ドイツ、エストニアとフィンランドからの移民の子孫で構成したオーストラリアチーム、そして日本が遠来のチームだった。

world cup 1992 - 03試合結果はフィンランドが圧倒的に強く優勝。日本はドイツとの5・6位決定戦に勝って、5位に入った。


新聞にも大きく取り上げられた、第一回ワールドカップ

world cup 1992 - 04北海道新聞の塚田記者が同行し、大会前のヤングセミナーから本大会の終了まで現地発のニュースとして報じられていた。


world cup 1992 - 05

WORLD CUP 1997 at HYVINKAA

第2回ワールドカップはペサパッロ発祥の地ヒヴィンカーで開催された

【8月8日】
練習試合1日目 SISMAのチーム。トップバッターのヤマト・大谷は早々とダイビングヘッドをマスター。ファースト日置とキャッチャー奥山が強打の洗礼を受ける、奥山の左手の指は骨折だったがそれを知らず最後の試合までプレーを続けた。日置は一瞬打球が頭に当たったかと思われたが持ち前の反射神経でかわして無事だった。
【8月9日】
練習試合2日目 VAAKSYのチーム。我がチームの女子選手が頑張る。
【8月10日】
ヒヴィンカーへ移動、いよいよワールドカップだ。ペサパッロの町と言われるこの町は一週間後に行われるオールスター東西対抗の準備が進んでいる。そして、開会式は始まった。
world cup 1997 - 01今日のスターはファースト日置と大谷だ、よさこいの衣装に例のヘルメットその上には日の丸のハチマキ、次の日の新聞にデカデカと登場してしまった。前回は阿部が強打者として紙面を飾ったが今回は彼等が日本文化の奥の深さを知らせてくれた。
【8月11日】
男子オーストラリア戦<0-2>レフト深瀬打撃に開眼。本場なみの豪打で以降打ち続ける。男子ドイツ戦<0-2>白老の中村、ヨケリとしての存在を強烈にアピール、ファンを増やす。
【8月12日】
world cup 1997 - 02男子エストニア戦<0-2>大介、ピッチャー技術の高さを新聞で紹介され子供ファンが増大。女子MIXフィンランド戦<1-1>女子選手三木・生石・筒渕の出番だ。三木はサード、生石はピッチャー、筒渕はショートでそれぞれ守備と肩の良さを印象づけた、特に生石は大男に激突されぶっ飛んだがプレーを続け喝采を浴びた、加わってくれた地元の女子選手との交流も深められ良いゲームだった。

第2回ワールドカップ、我々は勝つことの難しさを思い知らされた

【8月13日】
LAHTIでワールドゲームスの大観衆の前で男子フィンランド戦<0-2>。高原大使と大使館の人が観戦、渋田がラグビー式のダイビングで大活躍。
【8月14日】
女子MIX第2戦<1-1>フィンチームの日本通青年パーボが日本チームに加わり楽しいゲームになった。男子スウェーデン戦<0-2>日本チームファンの子供達が急増。肩痛で一日だけ試合を休んだショート正木がサイン攻めに大わらわ。
【8月15日】
男子順位決定戦ドイツ<0-2>一時はリードの局面があったが惜敗、これで試合は全部終わったが、ついに念願の一勝をあげる事は出来なかった。長くきびしかったワールドカップへの挑戦は終わった、傷だらけになりながら、慣れない食事を無理やり口に押し込んで戦った…。ミッコ井口の情熱とリーダー市川の努力でよくここまで来たと思う。名寄、旭川、千歳、白老、小樽、そして札幌。北海道の各地から心を一つにして集まった「日本チーム」の挑戦だった。

world cup 1997 - 03

Japan Pesapallo team World CUP ’97

Mitsuo IGUCHI

Mitsuo(Mikko)IGUCHI
DIRECTOR/HEAD COACH
THE GREAT FATHER OF JAPAN PESAPALLO

井口 光雄
日本のペサパッロの父。1984年かねてより極めて友好の深いフィンランドより国技のペサパッロを日本に紹介。東京でフィンランドクラブ員などとゲームにトライする。翌年知人・友人を集め札幌チームを作り、集めた資料やビデオなどでいろいろルールを研究しながらプレーを楽しむ。全日本チームを2度のワールドカップに出場させた牽引車であり、有能なプロデューサーである。

Yoshio HASEGAWA

Yoshio HASEGAWA
VICE DIRECTOR/COACH

長谷川 良雄
名寄にて国際交流を積極的に展開。ペサパッロ名寄チーム監督。ペサパッロのみならず、国際雪像コンクールにも毎年参加。日本雪像コンクール本部も運営。2001年には遂に名寄にて国際雪像大会を開催する。

2nd base
Kazuki Ichikawa
市川 一樹

Catcher
Ken-ichi Okuyama
奥山 健一

Left.SS
Masahiro Kawakami
川上 正博

1st base
Yoshiki Abe
阿部 芳樹

Left SS
Takayuki Hukase
深瀬 隆幸

Pitcher
Daisuke Natsuzawa
松澤 大介

1sd base
Akiyo Abe
阿部 晶代

Pitcher
Kazuko Oishi
生石 和子

Right SS
Keiko Tutubuti
筒淵 恵子

Super Joker
Hiroshi Nakamura
中村 宏

Leftfilder
Hiroshi Hioki
日置 宏

Rightfilder
Tomohiko Ohtani
大谷 友彦

Left.SS
Hidenori Sibuta
渋田 英則

Right SS
Eiji Masaki
正木 英治

Right SS
Tatsuya Naki
名木 達哉

フィンランド・インフォメーション・センター札幌

フィンランド・インフォメーション・センターは、1996年10月、在札幌フィンランド名誉領事館によって開設されました。

ご挨拶

在札フィンランド国名誉領事 横山清

フィンランド・インフォメーション・センター 写真-1

「フィンランド・インフォメーション・センター札幌」を代表してご挨拶を申し上げます。
北ヨーロッパのフィンランドは北緯60 度以北にあって国土の一部は北極圏に入りますが、北海道とは気候風土など、多くの共通点をもっております。人口も北海道とほぼ同じの520万人で、昔から親近感のある国として知られておりました。
1970年代に北方圏交流が始まると、北海道とフィンランドとの間では、生活文化を中心とした積極的な交流が始まりました。
ちなみに札幌に最初のフィンランド名誉領事館が置かれたのは73年で、日本では大阪についで2番目、また3年後の76 年には北海道フィンランド協会が、東京のフィンランド協会設立に後れることわずか3ヵ月で発足しております。北海道がいかにフィンランドとの交流に早くから取り組んで来たかがお分かりいただけるかと思います。

フィンランド・インフォメーション・センター 写真-2

フィンランドは1917年に念願の独立を果たした後も、数十年間にわたる厳しい試練の中で国家の保持とその近代化に努めてまいりました。そして90年代初頭の経済的危機も乗り越えて、95年にはEU( 欧州連合)に加盟、近代的社会福祉国家としてITなど、科学技術工業を中心に様々な分野で急速な発展を続け、現在ではアメリカと1 ,2を争う世界で最も競争力のある国に成長しました。

1996年10 月に開設した当センターは、フィンランドの紹介に積極的な役割を果たしてまいりました。この度、新世紀に入ったフィンランドについて、歴史や社会、産業、文化など、そこで生活する人々の姿をより身近なものとしてご紹介するために、北海道フィンランド協会のご協力も受けて内容を一新し一層の充実を図りました。

私ども札幌の名誉領事館では、「フィンランド・インフォメーション・センター札幌」を多くの方々に見ていただき、今日のフィンランドへの一層の関心とより深い認識、そして何よりも皆さまの将来の生活向上に役立てていただければと心より願っております。

フィンランド・インフォメーション・センター 写真-3

なお、当センターやフィンランドに関してのご質問、ご相談などは、ご遠慮なく当名誉領事館までお寄せください。

2003 年6 月

【主催】
在札幌フィンランド国名誉領事館
【共催】
北海道フィンランド協会
【後援】
在日フィンランド国大使館、フィンランド政府観光局、フィンランド航空、フィンランドセンター
  • 所在地:札幌市中央区南2条西2丁目ラルズプラザ8階
  • 営業時間:10:00~20:00
  • 在札幌フィンランド共和国名誉領事館 電話:011-530-6012

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